いんちきのもよう

コント師関本佳史 告知とかおねおねした文

低級車とはいわない約束になっているのです

 

  

 関本佳史独演会

「よんぱか」出演関本佳史

 コント8本

3月28日土曜日18時開場18時30分開演

大阪市西心斎橋2-8-33アメソンスクエアビル地下一階 

ライヴスペース「秘密基地」

前売り1000円 当日1500円

コメントいただければ前売り扱いとしますよって。

 

 なぜ告知を先に書いたかというと、なによりも告知が大事だからである。結局のところ、告知がそこまで大事かというとわかりませんが、コントをするということは観てくれる人がいることが大事なのです。誰もいない中する、なんてことになったらなったでこれはそうなれば空気を笑わすという神業になるのでありますが、なかなか神業というのは、難しいわけである。神業がそんなにできたら神業とはなにかというという神業問題に事態はかわっていきます。

 はやい話が見に来てほしいという欲がそれなりにあるのです。ま、わりとあるのです。つまり私は自己主張の強い人間なのです。恥ずかしい話です。

 

 昨年末から風邪を患い、これはつらいということで、禁煙であります。ブログというのは誰かを傷つけるということがなければ極端にいうと何をかいてもいいはずではありますが、といって、何かを書こうというそれがないとなかなか書けるものでもございません。ということで何かについて書きません。

 昨日同様ですが、禁煙について、書きます。

 

 禁煙をして3日目。

 いつたばこを買いにいってたばこをすってもおかしくないという状況になってきたわけです。禁煙のことについて書いて誰かが傷つくだろうか。たぶん、大丈夫だろうと思う。JTの人は気分よくないかもしれませんが、堪忍してもらいたい。しかし、だ、JTの人が私のコントを見に来たということもなく、そこまで気にせんでええだろう。ま、私のコントを見に来たことがあるJTの人もいるかもしれないが、もしご意見があれば、独演会の後、アフタートークで言っていただきたい。

 はっきりいうとたばこが吸いたい。またいつ吸うかもわからないが、とりあえずはつらくなったら深呼吸をしている。

 たばこをやめる理由の一つに金がある。しかし、私は金のことはそこまで考えていない。そうか、おまえはそんなに儲けているのかといわれたらそれは大きな間違いである。儲けていない。関本佳史が儲けているか儲けていないかは知名度と考えあわせてみれば簡単にわかるはずだ。たばこ賃はきつい。えぐい。どんどん値上げしていっきょる。たばこ税だ。これなにかにつけ税金で、そのうち税金とることに税金かかってくるんやないないの、てぐらい税金である。たばこ代は安ければ安いほうがいいにきまっているが、じゃ、たばこを吸わなければ金が貯まるかといえばどうもそうではないらしい。

 この辺が金という奴の不思議なところだ。

 禁煙した人間を何人かしっているが、その分金がたまったという話は聞いたことがない。ま、そりゃ人間てやつは金があってもないという生き物である。

 「もう、せっかくレクサス買おうとおもっていたのに、娘の嫁入り道具をかってレクサス買えんようになったわ、貯金ゼロ」

 とあるおじさんがぼやいていた。たぶん嘘である。何が。貯金ゼロが。レクサスを買おうと思っていた。レクサスとはなにかというと、自動車だ。高級車だ。このおじさんの貯金はゼロになってはいない。

 これが「電子レンジを買おうとおもっていたが、スピード違反の罰金の支払にながれてしまい、貯金がゼロになった」というならば貯金ゼロの可能性もある。ある。電子レンジを見据えての貯金とはおおむねいつゼロになってもおかしくない貯金額だ。

 ところが高級車だ。

 高級車。

 では高級車以外は低級車というのか。

 

 話をもどすと、なんの話だったか。ストーブの上のやかんをみると泣きそうになるという話ではない。書いたついでに書くが、書いたついでに書くてのもおかしな話だが、ストーブの上のやかんをみると泣きそうになるのは私だけだろうか。これはなんだろうか。この気持ちがわかる人はコメントをください。

 

 たばこの話だ。たばこをやめたからといって、金が貯まるわけではない、という話しを聞く。それはとてもよくわかる。わかるのだ。人間てやつは、そういう奴で、ま、ここでいう人間てのは私のような人間ということである。金が財布にあると、何に使うかは別としてそれをなんとなくつかっていってしまうのだ。阪神尼崎駅にある阪神そばという駅そばは日本全国駅そば選手権があったら、かなりええ線いくのではないだろうか、と思われる駅そばで、ここでよく私はちく天そばを食べるである。ちく天とはちくわを天ぷらにしたものである。それがうどんの上にのっている。もうこれだけで尼崎はパラダイスなのだが、ところがポケットにはいってる貨幣の額面がそれなりのときはそれなりを頼んでしまうのだ。エビ天うどんとかね。みなさん、考えてください。ちく天で尼崎はパラダイスと同等といっているのです。これがエビ天をなど喰らったらどうなりますか。どえらいことです。なのに、私は所持金がそれなりにあるときはエビ天を喰らうというのです。

 

 あればあるで使ってしまうの法則により、人はさして金がたまらないのである。

  

 あればあるで使うのだろうが、けどさあなたはエビ天うどんを食べたことでちくわの天ぷらのうどんよりも満足したのでしょう、といわれたらさにあらず。みなさんもこの貨幣経済に生きてきてどうですか。ね、さにあらず、でしょう。ここでいいたいのは、高級車と低級車です。低級車てのがあれですから、便宜上軽自動車にしましょう。高級車と軽自動車。そないちがうか。

 そない違わないのです。

つまり、車の価格というのは、エンジンがあってタイヤがある。そういうことなのです。うどんとは麺があって出汁がある。その上に何をのせるかというのは、そりゃ少し気分とか趣をかえてくれることになりますが、基本的には麺と出汁なのです。

 となれば、高いほうがなんらかの満足と言えなくもないですが、価格=価値ではないことが分かってきますね。ちくわのほうが安いからちく天うどんのほうがエビ天よりうまくないかといえば、さにあらずなのです。なのですが、これ金があったら少し高いほうの食券ボタンを押してしまうのはなぜでしょう。

 金に余裕のある時しか食べないから、というのも一つの答えでしょうが、それでけで十分な答えにはなりません。

 

 もう、これはかなりの文字数をつかって簡単に答えがでるものではないということが判明しましたので、この辺で終わります。

 いいたかったのは、独演会にきてくださいね、ということであります。

 

 最後に、私が荒川いたしという鼻の下の長いぼんやりした男とやっているネットラヂオの告知をして終わります。

 漢方おねおね放送局というネットラヂオをしております。

 きいてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

禁煙方法をもさく

 怖いもの知らずという言葉がある。怖いものしらずてのは、どちらかというと、恰好がいいような気がする。怖いものだらけ、よりも恰好がいいのは間違いがない。私は怖いものだらけだ。怖いものが大嫌いなのだ。怖いなあああ、てな状況が嫌いなので、極力目につかないように生きているつもりだが、そういうやつがコントします、いうて自分で告知をしてコントをしてるってはおかしい。極力目につかないようにいきているつもりなのだが、それにもましてコントがしたいのだろう。だろうな、きっと。

 なぜコントをするかというのを昨年考えていて、いったんの答えはでたのである。笑い声があると心地よいからであるのは当然なのだが、それと同時にコントをするということは精神衛生上よいからではなかろうか、なんてことも思った。

 精神衛生上、これはとても大事なことである。

 

 それをいいたかったわけではない。いいたかったのは、怖いものについてである。最近怖いものがある。それは二か月ほどずっとのどがじんわり痛いのである。のどがじんわり痛いのをほおっておくと大変なことになりますよ、とビートたけしさんが言っているではないか。大変なことってのは、大きく変なことである。大きく変になりたくない私は、病院に行った。

 医者はこういった。

「はああ、はああ、へえええええ、となんでしょうねえ」

 私の喉をみてこういったのだ。

「はああ、はああ、へえええええ、となんでしょうねえ」

ここまで正直な医者というのが存在していていいものなのかなんなのか、存在しているわけではあるのだが、医者になんでしょうねえと言われたらこちとっとなんでしょうねえ、である。

 確実に喉はいたい。我慢できる程度に痛い。のたうちまわるほどいたければ生活ができないからそうそうなのだが。

 喉がいたいと、病人な気がしてくる。かなり病人な気がしてくる。端的にいうとしんどいのだ。しかし熱を測ると、平熱。

 しんどいのに平熱。これはどうしたものだろうか。いっそ熱があれば、なんてことも思う。

 「はああ、はああ、へえええええ、となんでしょうねえ」

のお医者さんには過去インフルエンザの検査をしてもらったことがある。インフルエンザの検査がどのようなものかというと、普段目にする綿棒を細く長くしたようなものである。その細長綿棒を鼻の奥につっこむ。鼻の奥の液でインフルエンザが否かがわかるのだろう。

 「はああ、はああ、へえええええ、となんでしょうねえ」

の先生は

「はい、じゃあ、もうあきらめて」

 といって、綿棒を思いっきり入れてきた。何をどうあきらめるのかは知らないが、それはあきらめることのできる不快感ではなかった。思わず医者の手首を握るに至った。しかし医者はなれたもの。腕をつかむ私にこう言った。

「いや、そうじゃなくて」

この医者なかなかになかなかだ。で、何がいいたいかというとそんな思いをしたにものかかわらず、インフルエンザでないという結果が出たときは悲しい、ということである。そう、悲しいのだ。インフルエンザでなかったのならそれでいいのではあるが、そこまでやってインフルエンザではないとはどういったことだ、となるのだ。

 

 インフルエンザの綿棒に対する見解ではなく、今いいたいのは、喉が痛くてしんどいのだが、熱はないのだ。そして、あろうことか喉いたくてしんどいというのが、二か月だ。これは怖い。なにかあるのではなかろうか。怖いではないか。

 

 

 怖い。怖いではないか。

 この喉の痛みはどこからくるものだろうか。そりゃ喉だが、そういうことをいっているのではない。

 この喉の痛みへの措置として煙草を吸わないことにする。もともと煙草をすっていないなんてすかたんなことをいいたいのではない。私はわりに煙草を吸う。一日40本から60本吸っていた。

  でももう吸わない。だって今喉が痛いから。喉にいい煙草もある誰かが言っていが、たべてやせるクッキーなどないということをしっているのだよ。

 

 独演会までは禁煙し続けたいものだ。

 関本佳史独演会

「よんぱか」出演関本佳史

 コント8本

3月28日土曜日18時開場18時30分開演

大阪市西心斎橋2-8-33アメソンスクエアビル地下一階 

ライヴスペース「秘密基地」

前売り1000円 当日1500円

コメントいただければ前売り扱いとしますよって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プログラマーてのは金取る巨乳ではない

 プロてのは、なんでしょう。端的にいうと金をとったらプロだろう。
  ま、それだけで生活してなくてもプロといえばプロだ。

 プロゴルファー、プロ野球選手、プロゲーマー、エトセトラエトセトラエトセトラ。
 
  で、プロがつくものとプロがつかないものがある。これはなぜか。アマチュアの存在である。その分野にアマチュアがいないだろうというものにたいしてはプロとは言わない。プロとことわらなくてもプロにきまっている、というやつだ。
 プロ警備員、とは言わない。多分、アマチュアがいないだろうからだ。そりゃいるかもしれないが、なかなか警備てのは趣味にならない。で、勝手に警備員したら邪魔だといわれる。
 勝手に工場の前にたって、入館証明をきた人に渡しているとどうなるか。通報されるだろう。
  趣味として、それをする人の有無だ。なぜ警備員を趣味としてしないのか。警備は趣味とするには、乙とか粋とはそういうのがかなり必要となる。なぜか、なぜだろう。あまり、アドレナリンは出にくいでしょうし、アドレナリンでまくりの警備員てのも困るかもしれない。
  医師。これもだいたいプロだ。あまり趣味が医療てのはない。精々ヨーグルトたべたらよく便がでると近所のひとに言うおばさん、てとこだろう。外科的なことになると、まず趣味としてはない。趣味は盲腸切ることです、なんて人は相当生きるのに苦労するだろう。
  潜水艦の乗組員、ひよこのオスメス鑑定士、ゴミ処理、エトセトラエトセトラエトセトラ。
 あまりアマチュアがいないもの。それにはプロがつかない。プロしかないぐらいのものだからだ。

 
 情熱大陸という番組がある。この番組は概ねプロの人間の密着取材という構成である。
 思うに、プロよりもアマチュアのほうが情熱はあるのではなかろうか、とおもうのだ。
 ゴミ屋敷の人。この情熱はすごい。どえらい。ゴミ屋敷はゴミ屋敷でもなんでも持って帰るゴミ屋敷のほうだ。廃棄しないほうじゃなくてね。なんでも持って帰る人。
 部屋の中は、ゴミ。当人からしたらゴミでないものであふれている。外にもはみだす。屋根の上に自転車なんてこともある。
 情熱だろう。
 屋根の上に自転車である。屋根の上の自転車の上でもバイオリンはひけるだろうか。どうでしょ。
 
  いつか情熱大陸はゴミ屋敷の人の情熱を特集するべきだ。べきかどうかは知らんが。

 プロ瓶ビーラーになれたらええな。プロ瓶ビーラーとは、瓶ビール呑むのプロだ。無理かねえ、なりたいなあ。

告知である

スパンキープロダクション株式会社

  • タイトルスパンキーお笑いライブ「Laugh Parade」
  • 日時2014年1月10日(土)
  •         
  • 時間18:30開場/19:00開演
  •     
  • 出演ひこーき雲、巷、Mr.マイク、関本佳史、メジャープレイ、
    ギャンブルフード、追い風、笑武師、単細胞、福浦いぶき、
    ミラクルチャップリン為永、ユウシテッセン山本、どんびきブラザーズ 他、若手お笑いタレントいっぱい
  •         
  • 会場ZAZAーPockets(道頓堀・中座くいだおれビルB1)
  •         
  • 料金前売 1,000円 / 当日 1,200円

 

 どうも、はじめまして。関本といいます。これからここでブログを書く事にしました。おねおねおねおねした文章、またはどこどこでコントをします、とかそういうことの告知をかきます。

 バンブーダンスのイベントの告知はしません。なぜかというと、それはバンブーダンスをする予定がないからです。

 私は今年で34歳です。ふと思ったのです。私はバンブーダンスをしたことがないと。人生てのはたぶんしたことがないことの集約だと思います。ま、労力がどえらいことはなかなかできない。労力とか、お金とか、いろんなことがあって、することができないことはたくさんある。 ただ、バンブーダンスはやろうと思えばできる気がする。やろうと思って行動に移す。そこにはそれほど費用かからないし、わずらわしさもない、という気がする。しかし、しない。それはそこまでバンブーダンスに魅力を感じないからだろう。

 でも、それをする人がいる、ということは魅力があるのだ。

 その魅力に気が付いていないだけである。

 

 別段それはバンブーダンスに限らない。きっとなにか魅力があるのだろう、というものはこの世に五万とある。あるだろう。

 

 私はパチンコをしたことがある。2、3回。3千円くらいが一時間したらなくなった。なるほど、あれは楽しい。結局一円もプラスにはならなかったが、あれはたのしい。なぜ楽しいのだろうか。パチンコの魅力とはもう一歩、という感覚だ。もう一歩でなにかがおこるのではないだろうか、という演出にある。パチンコ台の液晶画面がもうじきなにかがおきますよ、というふうな演出をするのだ。

 あの液晶画面のパターンが

 「あたり」

 「すか」

 だけだったらどうだろう。ちかちかもぴかぴかもしない。ただそこにあるのは「須賀」という文字だ。

 「すか」は悲しい。失敗とか残念じゃなくて「すか」だ。すとかを並べただけだが、結構ボディにくる言葉だ。

 で何をいいたいかというと、世の中はパチンコをけっこうしてる人間と、パチンコを数回したことがある人間と、パチンコをしたことがない人間に分けることができる。

 考えてほしい。あの人はパチンコをするかいなか。そう考えると、実にみえてくることがあるだろう。何がどうみえてくるかはおのおの考えてほしい。

 血中ヤンキー濃度という言葉を作ったのは、ナンシー関さんである。この言葉はとても的を射ている。私はヤンキーになれなかった。

 なぜヤンキーになれなかったのかを書いて終わる。

 

 スウェットをそない着なかった。

 バイクにそこまで愛情がなかった。

 マルボロメンソールを吸わなかった。

 真冬はコンビニの前より室内のほうがよかった。

 自動車のハンドルにカバーをつけなかった。

 もめるのが嫌だった。

 声が小さかった。

 パチンコをほとんどしなかった。

 

 初めてパチンコをした時、もし勝っていたら私はヤンキーになれただろうか。たぶん、無理だ。なぜかというと、自動車のハンドルカバーの魅力がわからないからだ。

 しかし、確実に自動車のハンドルカバーに魅力はある。私はその魅力がわからない野暮天なのだ。

 じゃ、バンブーダンスの魅力はわかるのか。少し最近わかってきた。