いんちきのもよう

コント師関本佳史 告知とかおねおねした文

武術にバーコード

何か書くことがあるんじゃないか、とおもうのだが、なにもない。ないことはないのだろうが、なんだか書くということが、どうもなんとも、なんて気になったのだ。

 独演会が終わった。
 独演会を観に来てくれた方に感謝である。
 独演会が終わって思ったことは、独演会なんだな、俺は、なんてことでなんだそれて感じだが、35歳のおっさんが一人で何か妙なことをしているってのを観てくれる人がいる。それ以上ないのかもしれない、とおもったのだ。

 そりゃ、言いたいことはないわけじゃないが、だけど日和ったとかやなくて、もうフィクション以外はとりあえずいいか、なんて気になった。ネットラジオ、漢方おねおね放送局では、あれやこれやいってはいるが。

 ビックコミックスピリッツを買うのをやめた。たまに、喫茶店やスーパー銭湯ビックコミックスピリッツを開く。中崎タツヤのじみへんを読む。

 中崎タツヤはいつ衰えるだろうか。いつまでもくだらないことをかける人。きっと中崎はまれびとだ。

 ふいに思い出す。中崎さんはよくそれを漫画にする。そうふいに思い出すんだ。

 昔、本屋でアルバイトしていた頃。秘伝という古武術をあつかった月刊誌があった。
 秘伝だ。
 秘伝。秘伝が本屋で売られていふ。バーコードまでついて流通している。1000円以下で買える秘伝。

 どんな秘伝や。

 なんてことを神戸のダイエーの屋上駐車場で夕日を見てる時におもった。
 なぜだろう。
 記憶の喚起ふいにやってくる。

 ここ最近はおねおねおねおね芝居の台本を書いている。昨年もこんなこといってたな。昨年書いたものは、結局上演していない。前はあてもなく書いたが、今書いてるものは、とりあえずあてがあって書いている。

 あて。あてだよ。コントを17年やってきたが、あてがあったことがない。あてがないなら、勝手にするさと独演会。
 今書いてる芝居はあてがある。それは多分けっこう幸福だ。

ブブカ

関本佳史独演会
「よんぱか」
 出演 関本佳史
 大阪市中央区西心斎橋2-8-33アメソンスクエアビル地下一階ライヴスペース「秘密基地」
  3月28日土曜日
 18時開場18時30分開演
 
 よんぱか公演後、インターネットラヂオ漢方おねおね放送局の公開録音あり。

 願う。つ離れ。月見峠もでるよ。コントするよ。



 一年かけてやうやくドン・キホーテを読了しました。おもしろい。
 サンチョパンサが好きになったよ。
 
 ドン・キホーテを読んでない方。ドン・キホーテとはどんな話かといいますと、ドン・キホーテという統合失調症の男がおねおねおねおねおねサンチョとおねおねおねおねおねしてる話です。
 これね、ほんとなのです。

 どうしてドン・キホーテを読んだかというと、世界の文芸評論家が選んだ一番おもろい小説てのが、ドン・キホーテやったからです。
 権威に弱いね。

 でも、それは反動なのです。私はあまり権威とか流行とかを意識しない。どういう奴かというと、面倒くさい奴です。ロッキーよりレイジングブルを語りたがる奴て面倒くさいよね。そう、私は面倒くさい。
 
 ほいでね、一度ね、世界の本読みがおもろいゆうてるもんに身を任せようという運びになりまして、読みました。ほんだらね、ドン・キホーテとサンチョパンサがずうううとおねおねおねおねおねしてるのね。
 
 確かにおもしろい。


 結局、阿呆らしいてのはええなあ、なんて思ったのです。ドン・キホーテてのは、あほな人間を延々と書いてます。多分それはなにかにつけ大事なことで、特に男はつまらんことで俺のほうが賢いであります、と他人と張り合う。

 張り合うのって、疲れるよ。

 

 疲れてはならない。これは大事なことである。市民マラソンてのは、端的にいうと、参加費はらって疲れにいってるのだ。魅力がわからない。でも多分あれだけの人が走るのだ。きっと魅力があるのだろう。


 走るてのは、なにかある。多分跳ぶより。趣味マラソンという方は多数いるが、趣味走り幅跳び、趣味走り高飛び、趣味三段跳び、趣味棒高跳び、という人にあったことがない。

 棒高跳びをしたことある人に会ったことがない。

 多分跳ぶ飛ぶより走るなんだろう、今のところ人は。

 体育の授業の高飛びで、背面跳びしてた奴がいた。
 うううううむ。背面跳びするやつの得意気な顔。そいつの背中に藁いれたくなるね。


ほな、また。

岩盤浴の効能

 たばこを吸っている。結局吸っているのだ。このままいけば禁煙となったのだが、このままいかなかったのだ。

 たばこを吸うと、腰が痛い。これ関係ないようだが、関係があるのだ。たばこを吸うと、筋肉が固くなる。これ関係ないようだが、関係があるのだ。なにせ、禁煙してはダメになってを繰り返している人間がいっているのだ。

 

 腰が痛いと嘆くと妻はこう言った。

「ならば岩盤浴にいけばいい」

 そうなのだろうか。かなり回り道をしている気がするのだが、どうだ、回り道だろう。腰がいたければ整体にいくほうがいいような気もするのだが、妻がいうには

岩盤浴にいけば腰が痛みが和らぐ」

というのだ。

 

 そういうことで、そういう言葉にのって、ほいほいと家族で岩盤浴のついてるスーパー銭湯に行った。私はわりに大浴場とか露天風呂と言われてるものが好きなのだ。なぜ好きかというと、家の風呂よりも呆けれるからだ。一人でおねおねと風呂に浸かっているいたのだが、4歳児のこどもも一緒に入る運びになった。この4歳児のこどもというのは、私のこどもである。他人のこどもを風呂に入れることはまずないのだ。私のこどもである。

 

 昔は熱い風呂にはいれなかったこどもだが、今では入れるようになっていた。

「ああああああ、あつくなってきた」

とこどもが言うので、ならば水風呂にはいっていなさい。と水風呂につけた。小さな人間が水風呂で呆けている。こどもてのはどえらいもので、およそ5分くらいはいっていた。ま、その後熱い風呂に10ほどつかったのは言うまでもない。

 

 風呂部門を終わらせ、私は一人岩盤浴へと向かったのである。この岩盤浴

、過去にもはいったことはあるのだが、これがどうも私には魅力的に感じないのである。あつううううい部屋、下が石、そこに寝転んでいる。

 これがそんなに魅力的だろうか。だって、夏場に寝転んでるのとどうちがうんだ、という気になるのだ。夏場、石の上に寝転んでいる、これとどう違うのだ。そんなこといいだしたら、サウナはどうだ、となるのだが、サウナはいいのだ。うん、勝手なそれだが、サウナはだって夏どころじゃないから。いっそ夏どころじゃないから。岩盤浴は夏でしょ、あれ。夏。夏だよ。

 

 なにはともあれ、そういうふうな思いがありますが、なにせ私は向かった。向かったのだ。岩盤浴に。

 

 結果からいいますと、やはり岩盤浴は夏だった。夏ばに下固いところで寝ている。そういう状況であった。

 夏に家でねてるのとどう違うのかわからない。岩盤浴と夏の家でのごろ寝の違うところは、自由気ままに屁がこけるかどうか、というのもある。岩盤浴では屁がこけない。屁をこかないでくださいという注意書きはないが、それぐらいのことはわかる。岩盤浴では屁はこいてはならない。音がしたら恥ずかしいし、音を消したとて臭いの塊になるのはわかる。

 

 結局腰痛がましになったかというと、皆目ならんのだ。滞在時間10分だしね。岩盤浴の魅力、いまだわからず。

 

 

 3月28日 土曜日

関本佳史独演会「よんぱか」

18時開場 18時30分開演

大阪市中央区西心斎橋2-8-33アメソンスクエアビル地下一階ライブスペース秘密基地

出演 関本佳史

コント8本

前売り1000円 当日1500円

 

公演後 インターネットラジオ漢方おねおね放送局の公開収録があります。

月見峠のコントもあります。

月見峠がネタをするといっているのです。ぜひぜひ。

 

 コメント頂いた方は前売りとなります。

 

 つ離れ、願う。

VHSの時代

3月28日 土曜日
関本佳史独演会「よんぱか」
18時開場 18時30分開演
大阪市中央区西心斎橋2-8-33アメソンスクエアビル地下一階ライブスペース秘密基地
出演 関本佳史
コント8本
前売り1000円 当日1500円

公演後 インターネットラジオ漢方おねおね放送局の公開収録がありあます。

 コメント頂いた方は前売りとなります。

 つ離れ、願う。

 

 

 たばこをやめよう、やめようとしているのだが、また吸ってしまう。そのことについておねおね書こうかとも思うが、ま、やめる。私の知り合いで「誰がそんな話興味あるねん」が口癖の人がいます。しかしですね、興味あるかなしかだけで生きるのはあまりに寂しくないだろうか。興味だけで生きていては話などできないのです。誰かの興味をひく話をしようという時点でおこがましいのです。

 そう、誰もあなたには興味ないかもしれないが、好き勝手すればいい。それは私もだ。

 

 僕らのミライへ逆回転という映画の話をしようか、私の毛布論をしようか難しいところだ。今日のところは僕らのミライへ逆回転の話にする。毛布論興味ないという人がいまいがいつかする。

 毛布論。

 これをかなり大仰にすれば私も先生になれるだろうか。先生になったらいいことはなにかというと、ちやほやしてくれそうなところだ。ちやほやされたいのかというと、あまりされたくないが、されたらされたでまんざらでもないだろう。整合性てやつに期待してはいけない。

 

 僕らのミライへ逆回転という映画についてである。はっきりいってはっきりいって、ここまで見事な映画はそうそうないんじゃないの、という気がする。映像、音、いわんや吹き替えにいたるまで、いい。実にいい。

 僕らのミライへ逆回転と書いたのだから、あらすじをいうのではないかと思った人がいるだろうが、残念ながらあらすじはかかない。ま、ウィキ版でもみてくれ。しかしだ、あらすじで分かったきになるな、てのもある。そう、そうなのだ。結果、結末なんてのはどっちでもいいのだ。ようは過程をたのしめ、なのだ。

 

 私はわりに映画をみてるほうの人間である。映画と自分の金玉をみていた時間どっちが長いだろう、と考えたらわりと難しい問題ではある。小便、風呂、男はけっこう自分の金玉をみてるものだ。映画、というのは、どうだろう。昔はVHSの時代、週3本ぐらいは観ていたが、今は週1本だ。

 

 そう、VHSの時代というのがあった。昔は吹き替え版と字幕版というのが別にあったのだ。今のような一つのディスクからどちらかを選択ではなく、はなからそれようのものをレンタルしていたのだ。そうなると、なかなか吹き替え版てのは借りないものである。

「ほら、映画はやっぱり字幕でしょ」

 といいたくなったり、気取りたくなったり。

 

 私も結構気取る人間で、家具のことをインテリアといいたい人間なのだ。嘘だ。家具をインテリアという人間にはなにがあっても大瓶ビールをおごってやりたくない。お前はベランダでハイネケン飲んでろ、と思ってしまう。ただ、ハイネケンてたまに飲むとうまいね。もしかしたらずっと飲んでもうまいのかもしれない。高いからたまだけど。それはそれとして。

 

 DVDの時代になり、私は吹き替えでも映画を見るようになった。こういう機能があるのだから、吹き替えも一度という感じだ。で、吹き替えで見ると、わりといい。その声優さんの演技がいいのだ。うん、いい。とくにヒューマンドラマと呼ばれるものは実にいい。

 ま、だいたいヒューマンドラマなんですが。あまり、ゾウリムシのドラマはない。ま、子猫物語は子猫が流されていくね。知らんがな、ですね。

 

 話がまとまりませんが、なにせ、僕らのミライへ逆回転はとてもいい映画なのです。

 

 

 毛布とダメ人間についてはまた次回。

 

 独演会きてね。コメントをまってるんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豚バラビールセット500円、なんてのもよさそうだ

 3月28日 土曜日
関本佳史独演会「よんぱか」
18時開場 18時30分開演
大阪市中央区西心斎橋2-8-33アメソンスクエアビル地下一階ライブスペース秘密基地
出演 関本佳史
コント8本
前売り1000円 当日1500円

公演後 インターネットラジオ漢方おねおね放送局の公開収録がありあます。

 コメント頂いた方は前売りとなります。

 つ離れ、願う。

 

 かなりしつこく岡田斗司夫さんのことに関して書いてきたが、もういいような気がする。

 おもしろい。実におもしろいけど、なんだかもういいような気がする。

 

 

 人生において大事なことは何か。一番大事なのは生きてるということである。

 「あなたは私のことを何もわかっていない」

 というのは、ドラマの決まり文句だ。なにもわかっていない、ということはまずない。少なくとも生きていることはわかっている。ならば、その人の一割ぐらいはしっているといってもいいのではなかろうか。

 

 日本史に詳しくないといっても、少なくとも織田信長は死んでいるということは知っている。それだけでもかなりのことがわかっているといっていいだろう。 

 

 人間生きてるとくさくさしがちだ。そりゃ死んだ人間がくさくさするのはおかしいけどもだ。

 なぜ、人は食べ物に執着するか、それはたぶん満腹以上のくさくさ解消手段というのはない。満腹になればそれなりにやっているいける。そういう気がする。

 

 私は食べ物が好きである。

 俗物な私はまわりの意見に踊らされる。世界の批評家が選んだ、世界で一番おもしろい本はドンキホーテだそうだ。で、読んだことがなかったので今読んでいる。どういう話かというと、あほとあほが旅をする話だ。これがね、おもしろい。あほとあほが旅すればそれはもうおしろいわな。

 俗な私は世界で一番うまいとされてる料理を食べた。

 マッサンカレーというタイのカレー。

 タイにはいっていない。日本でマッサンカレーを提供してくれる店にいったのだ。私はカレーが好きな人間で、カレーと1億円があればあとは健康な体と家族の幸せがあればほかになにもいらないという欲深い人間である。そりゃそうだ、カレーだけでは幸福は獲れない。

 しかし、カレーが好きなのは事実だ。

 で、マッサンカレーを食べた。

 感想。

 うううううううううううううううううううううううん、まあ、まあああ。 

 

 そこまでうまくないだろう、、、、と思ったのだ。

 もちろん本場のもではない、とか、食べつくしわけではないとか、いろいろある。そういう要因の中の一つに食べなれていない、というのが大きいだろう。だってそうだろう。食べなれたものはうまく感じてしまうのだ。

 

 

 アイディアだけの人がいる。私もそうだ。自分では行動しないし、そのアイディアが採用されたこともないのに、わり言いたがる人。

 私が今思ってることは、格安の飯屋をだす、てのはいいのではなかろうか、ということだ。なにか。

 貧乏飯だ。 

 ひとり暮らしのころ、晩飯だいたい貧相だった。飯にかつお節をのせただけのもの。飯に雑魚をのせただけのもの。飯にのりをのせただけのもの。飯に粉々に砕いたとんがりコーンを混ぜたもの。

 

 酔った帰り道この手のものを食べたくなったことはありませんか。もしないというならあなたと私はたぶん違う文化なのだろう。そうそれは、パソコンをPCと呼ぶ人類とカチャカチャ打つやつと呼ぶ人類が違うように。

 

 いいと思うんだけどね。貧乏飯屋。一律200円くらいで提供するの。駅の近くに。俺ならはいるね。うん、はいる。

 

 前考えたのは、居酒屋の二階が宿泊所になってるものである。酒というのは睡眠薬だ。睡眠薬を外で飲んで、そっから家路につくというのは実に面倒なのだ。ならばこういう商売はどうか、と思ったのだ。

 

 しかし、まあ、この手の商売は誰かが一度考えてるのだろう、とは思う。ま、しかし、私はしないが、誰かしたい人がいるのならばすればいいと思うよ。

 

 もし、本当にやるって人がいたら、中元歳暮ぐらいはお願いします。

 

 では、また。

 インターネットラジオ、漢方おねおね放送局もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんだけもてりゃ、やせるも太るもどうでもよくなるか

関本佳史独演会「よんぱか」出演関本佳史

コント8本

3月28日土曜日18時開場18時30分開演

大阪市西心斎橋2-8-33アメソンスクエアビル地下一階 

ライヴスペース「秘密基地」

前売り1000円 当日1500円

コメントいただければ前売り扱いとしますよって。

 

 大事なことは書けました。ツ離れしますように。

 

 先日書いたことの続きとなります。先日はおたくがどうこうしたと書きました。で、途中に真っ向受け入れてくれるかいなか、ということが途中にでてきて、そこは軽くかいて終わりました。今日はそれについておねおねと。

 真っ向受け入れてくれる、全面的肯定とでもいいましょうか。そういう人間は残念ながらいないのです。実に残念です。いないのです。ペットはどうも自分を肯定してくれるような気になりますが、ペットはだいたい動物です。人とは言えませんし、人がペットならはそれはそういうような趣味となり話はまた違うステージに移行します。

 いないのか、となりますね。いるだろう、と思いたいところですが、いないのです。となると、どうなるかというと、そこまで受け入れてない人間にこういわれても知らんがな、となるのです。

「俺がおまえぐらいの歳のころはな」

 知らんがなです。残念なのかどうなのかはわかりませんが、あなたのようになりたいと思っていないわけど、俺がお前ぐらいの歳のころはなああ、と言われたらもうそれは「でたよ」とか「はじまるよ」とか思いながら聞くしかありません。

 ここが見えてこないと何も見えてこないのです。です、といいきりました。

 

 なぜ和民の前の社長はあんなに得意気なのか。それはそこからきます。社長です、それもわりかしちやほやされています。ちやほやされてるところにはされているでしょう。しかし、視聴者はそこまであのおじさんを受け入れていません。どちらかというと、うっとうしいぐらいに思っています。金持ちが陥りがちなところです。金持ちは肯定されているだろう、と。そない肯定しません。ある金持ちに近づいていくらかもらえるという立場になれば恰好だけでも肯定してる風を装いますが、そんな立場でもありません。そうなるとどうなるとかというと、「なぜ、和民のおじさんはこんな得意気なのだろうか」ということになります。

 とはいうものの、人はどうしてもお金があるような感じとか、有名な感じ、てのに弱いものではあります。ありますが、そこまでではないのです。

 あなたの得意気はどこの世界でも通用するものではない。残念ながらそうなのです。

 

 20歳ぐらいの時です。私の同級生がランドクルーザーという車を買ったというのです。「ほおおおお」といいました。しかし、話をするにどうも彼は「ほおおおおお」以上の言葉を求めているようなのです。しかし私には「ほおおおお」以上ないのです。スーパーライフでトランクスを買ったよりは驚きますが、といって、「ほおおおお」以上のものはなかったのです。それは私が車に疎いからかもしれません。彼が「バンブーダンスサークルを作った。今度見に来ないか」と言われたら私は体をのりだしていったっでしょう。「ぜひ見に行かせてくれ」と。しかし、ランドクルーザーはよくわからないのです。

 

 で、またかいな、となりますが、ここで岡田斗司夫さんのことを書きます。あの人は何者だろう、ということを考えていたのです。あの人はその辺のことをすごく敏感にかぎとる人ではないだろうか、と。

 和民の話にもどりますが、あれは結局なにかというと、大企業の社長であり、成功者と呼ばれる人間はだいたいの人間から尊敬されるだろうという勘違いからあの顔があるのです。乱暴にいうとランドクルーザーもそうです。だいたいの人間はそれなりに何か思うだろうと。

 岡田さんはたぶんそういうことは思っていない。うん。たぶん。何人かでいい、と思っているのです。当然人間ですから受け入れられたいと思っているのですが、10パーセントぐらいの人間でいい、そう思っているでしょう。どうあれ、完全に受け入れてもらうなんてことはないのですが、ないうえに人はすべての人から尊敬されたいぐらいに思ってしまうのです。もうそれは延々にギャップはうまります。 

 ごくごく何パーセントだけでいい。そう思って行動してる。

 ここが見えてきたらだいたいが見えてきたのです。

 私をもっと持ち上げなさいよという感じが見えない。和民さんからは見えますね。といって岡田さんが権威的でないかというと、なんか権威的なにおいはする。権威的なにおいはするが、馬鹿にされても平気な感じのあの余裕。つまりそういうことなのですよ。

 

 

 

 

 

 

 

ぼくたちの洗脳社会

 

関本佳史独演会「よんぱか」出演関本佳史

コント8本

3月28日土曜日18時開場18時30分開演

大阪市西心斎橋2-8-33アメソンスクエアビル地下一階 

ライヴスペース「秘密基地」

前売り1000円 当日1500円

コメントいただければ前売り扱いとしますよって。

 

 大事なことは書けました。ツ離れしますように。

 

 おたくじゃない私がおたくについて書きます。お付き合いを願います。この時代、おたくとは。なにやら大仰に書きました。大目に見てください。ある時代までおたくとはなんだったかというと、覚悟だったと思うのです。30歳40歳がアニメやら特撮でおねおね語るってのは変だとされていました。されていた。もっというと、大学生が漫画を読んでいるということがおかしいとされている時もあった。

 それはそれ。よくも悪くもです。現代はどうかというと、自分から名乗る人がいる。「私はおたくです」と。ただ、話を聞くとそこまでおたくだと思えない。どうも、それはただアニメを見ているというだけのように聞こえる。乱暴にいうと覚悟ない、と思えるのです。

 

 で、覚悟がいるのかどうか。覚悟なしにおたくと言える、これはある意味ではとてもいいことです。そうでしょう、バイクが好きな人がいるようにアニメが好きな人がいる。ただ、好きなだけである。それを表明できる。それは素晴らしい。そうでしょ。秘密というか自分だけのものとするのは、なんだかさびしい。それは別におたくだからどうこうは関係ない。自分とはどういう人間か、を語るのは楽しい。上司の話はだいたいがいかに自分がすごいかを語るものだと、相場が決まっていまる。それはしょうがない。しょうがないよ。歳をとれば自慢の一つもしたくなる。それはそれとして。

 

 おたく。自慢といかなくても、自分という人間を発表するのは楽しい。それはそれでいい。いいのだが、20歳くらいの人間がいうおたくってのはどうも、どうもなああ、となるのである。「僕オタクです」とはいうが、どうもアニメが好きなだけじゃないの、となる。それはマニアであって、おたくじゃないでしょう、となるのは古い人間なのだろう。

 

 それはおたくへの感覚の違いがある。私の思うおたくとは面倒くさいやつだが妙に説得力がある人、である。竹内義和中森明夫岡田斗司夫、いづれも決して友達にはなりたくないが、説得力のある人たちである。友達にはなりたくないが。

 アイドルとか特撮に執着しているのが竹内義和なら、そういうところではなく、なんというかもっと乾いていたのが岡田斗司夫だろう。この人、乾いている。好き過ぎて身体から離れない、というよりかはいかにこれをお金として変換できるかを考えている人、それが岡田さんだ。

 岡田さんの「ぼくたちの洗脳社会」という本はとてもセンセーショナルだった。乾いた覚悟、そういう本である。おたくの理論武装の塊、そういう本だった。この人とは友達にはなりたくない、と思わせる本だった。同時にこの人の話は飽きない、端的にいうとおもしろい、そう思わせる本だった。

 

 現代の自称おたくは理論武装はいらない。だって、ま、そうでしょう。おたくってのはそこまで後ろ指さされる存在ではなくなったから。岡田氏のような論じる人じゃなくてもよくなったのである。論じなくてもそれなりにみな認めるしね。それなりにはよ。真向受け入れる社会なんてのははなからないから、それなりに、でよししないとならないとも思う。

 この真向受け入れられないてのも、考えていくと、おもしろいのだが、それはまだ後日にする。でもおもしろいのね。これがなにかというと、例えばブラック企業とよばれるものと庶民との感覚。ま、それはそれとして、おたくについて、進める。つまり、それなりに受け入れてもらえる社会であるからして、理論武装はそこまでいらなくなった、そういう社会である。それはとても素晴らしいってこと、ね。

 艦隊コレクションてね、実におたくの要素が強いなあああ、とわたしは思うが、そこらのゲームよりはるかに認知されてるでしょ、現実問題。で、それはそれでいいのだが、ま、一度「ぼくたちの洗脳社会」なんて本を読んでおたくの理論武装に触れるのもいいんじゃないかしらん、なんておもったりもする。

 理屈うんぬんいわないのが定着してるってことかもね、とも。漫画の魅力とはなにか。それはたぶん語らなくてもいい。商業的にはね。漫画の魅力を語らなくても、触れようと思えばすぐに触れることができる。じゃ、どうして舞台の魅力を語りがちになるのか、と言えば簡単には触れれないとおもっているからである。実は触れれるんだけど、印象としてね。例えば狂言、触れにくい気がする。魅力を説かなくても実物が近くにある。それが定着してるってことだろう。

 スマホのゲームの魅力を説く人がいるか、である。いない。それだけ定着してるということである。

 

 まとめる。全然まとまってないが、強引にね。

 35歳からすると、おたくと名乗るからには、それなりの理論武装が欲しくなるのだ。もっといえば古い言い方だが、おたく的教養て奴だ。が、しかし、おたく的教養てなんですが、私ただ現在アニメを見ていて、成人にしては人より多くアニメを見てるて人をオタクと呼んでるみたいだから、おたくっていってるだけですけど、私が自分をおたくということであなたに迷惑かけましたか、と言われたらぐうの音もでないのである。たださ、ま、さ、岡田さんのあの本はよかったよ、と小さい声で僕はいうだろう。いう。

 

 

 でもさ、しってたけどさ、わかってるけどさ、いざ形になったらね、その、あれだね、理論武装てのは、ちんちんの前には非常に弱い。弱いね。うん、でもさ、そういう岡田さんはわかりやすくていいよ。いい。

 

 

 乱暴な仮説。

 助平ほど理屈ぽいのでは、、、、、、

 

 

 

 人生より高見にたつことは不可能である。で、そこから考えるにちんちんより高見に立つことは不可能なのだろう。