いんちきのもよう

コント師関本佳史 告知とかおねおねした文

ぼくたちの洗脳社会

 

関本佳史独演会「よんぱか」出演関本佳史

コント8本

3月28日土曜日18時開場18時30分開演

大阪市西心斎橋2-8-33アメソンスクエアビル地下一階 

ライヴスペース「秘密基地」

前売り1000円 当日1500円

コメントいただければ前売り扱いとしますよって。

 

 大事なことは書けました。ツ離れしますように。

 

 おたくじゃない私がおたくについて書きます。お付き合いを願います。この時代、おたくとは。なにやら大仰に書きました。大目に見てください。ある時代までおたくとはなんだったかというと、覚悟だったと思うのです。30歳40歳がアニメやら特撮でおねおね語るってのは変だとされていました。されていた。もっというと、大学生が漫画を読んでいるということがおかしいとされている時もあった。

 それはそれ。よくも悪くもです。現代はどうかというと、自分から名乗る人がいる。「私はおたくです」と。ただ、話を聞くとそこまでおたくだと思えない。どうも、それはただアニメを見ているというだけのように聞こえる。乱暴にいうと覚悟ない、と思えるのです。

 

 で、覚悟がいるのかどうか。覚悟なしにおたくと言える、これはある意味ではとてもいいことです。そうでしょう、バイクが好きな人がいるようにアニメが好きな人がいる。ただ、好きなだけである。それを表明できる。それは素晴らしい。そうでしょ。秘密というか自分だけのものとするのは、なんだかさびしい。それは別におたくだからどうこうは関係ない。自分とはどういう人間か、を語るのは楽しい。上司の話はだいたいがいかに自分がすごいかを語るものだと、相場が決まっていまる。それはしょうがない。しょうがないよ。歳をとれば自慢の一つもしたくなる。それはそれとして。

 

 おたく。自慢といかなくても、自分という人間を発表するのは楽しい。それはそれでいい。いいのだが、20歳くらいの人間がいうおたくってのはどうも、どうもなああ、となるのである。「僕オタクです」とはいうが、どうもアニメが好きなだけじゃないの、となる。それはマニアであって、おたくじゃないでしょう、となるのは古い人間なのだろう。

 

 それはおたくへの感覚の違いがある。私の思うおたくとは面倒くさいやつだが妙に説得力がある人、である。竹内義和中森明夫岡田斗司夫、いづれも決して友達にはなりたくないが、説得力のある人たちである。友達にはなりたくないが。

 アイドルとか特撮に執着しているのが竹内義和なら、そういうところではなく、なんというかもっと乾いていたのが岡田斗司夫だろう。この人、乾いている。好き過ぎて身体から離れない、というよりかはいかにこれをお金として変換できるかを考えている人、それが岡田さんだ。

 岡田さんの「ぼくたちの洗脳社会」という本はとてもセンセーショナルだった。乾いた覚悟、そういう本である。おたくの理論武装の塊、そういう本だった。この人とは友達にはなりたくない、と思わせる本だった。同時にこの人の話は飽きない、端的にいうとおもしろい、そう思わせる本だった。

 

 現代の自称おたくは理論武装はいらない。だって、ま、そうでしょう。おたくってのはそこまで後ろ指さされる存在ではなくなったから。岡田氏のような論じる人じゃなくてもよくなったのである。論じなくてもそれなりにみな認めるしね。それなりにはよ。真向受け入れる社会なんてのははなからないから、それなりに、でよししないとならないとも思う。

 この真向受け入れられないてのも、考えていくと、おもしろいのだが、それはまだ後日にする。でもおもしろいのね。これがなにかというと、例えばブラック企業とよばれるものと庶民との感覚。ま、それはそれとして、おたくについて、進める。つまり、それなりに受け入れてもらえる社会であるからして、理論武装はそこまでいらなくなった、そういう社会である。それはとても素晴らしいってこと、ね。

 艦隊コレクションてね、実におたくの要素が強いなあああ、とわたしは思うが、そこらのゲームよりはるかに認知されてるでしょ、現実問題。で、それはそれでいいのだが、ま、一度「ぼくたちの洗脳社会」なんて本を読んでおたくの理論武装に触れるのもいいんじゃないかしらん、なんておもったりもする。

 理屈うんぬんいわないのが定着してるってことかもね、とも。漫画の魅力とはなにか。それはたぶん語らなくてもいい。商業的にはね。漫画の魅力を語らなくても、触れようと思えばすぐに触れることができる。じゃ、どうして舞台の魅力を語りがちになるのか、と言えば簡単には触れれないとおもっているからである。実は触れれるんだけど、印象としてね。例えば狂言、触れにくい気がする。魅力を説かなくても実物が近くにある。それが定着してるってことだろう。

 スマホのゲームの魅力を説く人がいるか、である。いない。それだけ定着してるということである。

 

 まとめる。全然まとまってないが、強引にね。

 35歳からすると、おたくと名乗るからには、それなりの理論武装が欲しくなるのだ。もっといえば古い言い方だが、おたく的教養て奴だ。が、しかし、おたく的教養てなんですが、私ただ現在アニメを見ていて、成人にしては人より多くアニメを見てるて人をオタクと呼んでるみたいだから、おたくっていってるだけですけど、私が自分をおたくということであなたに迷惑かけましたか、と言われたらぐうの音もでないのである。たださ、ま、さ、岡田さんのあの本はよかったよ、と小さい声で僕はいうだろう。いう。

 

 

 でもさ、しってたけどさ、わかってるけどさ、いざ形になったらね、その、あれだね、理論武装てのは、ちんちんの前には非常に弱い。弱いね。うん、でもさ、そういう岡田さんはわかりやすくていいよ。いい。

 

 

 乱暴な仮説。

 助平ほど理屈ぽいのでは、、、、、、

 

 

 

 人生より高見にたつことは不可能である。で、そこから考えるにちんちんより高見に立つことは不可能なのだろう。