いんちきのもよう

コント師関本佳史 告知とかおねおねした文

職業人たちの言葉

 結局はそれを経験する、経験できないならそれをやっていたひとに話を聞くということやなかろうか、何事も。そうすることで思い上がりというやつは顔をひっこめてくれるのやなかろうか、と思うのです。

 

 なんのことかというと労働のことです。

 

居酒屋のキャッチの仕事はどえらく大変だろうな、という話をたまにする。職業選択の自由というが、現実はゲームのように職業は選択できない。やりたいことよりも今金が稼げること、1時間でケツをわるようなことなく給金もらえるまでやれるかどうか、それが重要となる。1時間でケツをわったとして1時間分の時給、例えば俺もうこの仕事やめるか1時間働いた分の800円ちょうだい、といってもはいよとくれる人はいない。いないというか言いだせるかいな。

 居酒屋のキャッチの仕事。

「お兄さん、居酒屋探してません」

といってくる。これはわかる。

「お兄さん、居酒屋ちゃいます」

と言ってくる。ちゃいます、とは関西弁。標準語でいうところの「ちがいますか」

「居酒屋ちゃいます」

と私にいわれても居酒屋に関係しているのはあなたである。私からしたら居酒屋はお前や、となる。雇い主は誰かはしらないが、私からしたら居酒屋はあなただと思うのだ。

「居酒屋ちゃいます」

と聞かれたら

「私は農家です」

と答える。

でも、その場合おっかしな人間となるのは私は農家ですと答えた人間となったりする。難しいところですね。

などと難癖をいう。しかしね、見ず知らずの人間に声をかけ続けるというのはそこにはフォームができてくる。

このキャッチとはいかなるものか、と思うのだ。いつか話をききたい。自分ではやりたくない。なぜなら知らない人に声をかけあまつさえ居酒屋まで連れていくという芸当は私にはできないし、ずっと立ってるのは腰が痛いし、である。

 

 

 電気屋さんの売り子。通信関係の方々。これもつらそうだ。Wi-Fiの申し込みをする。売り子さんは説明をする。話を聞いていくとどうも売り文句とちがうぞ、という気分になってくる。それを指摘するとこういわれたのだ。

「通信てだいたいそんなもんですよ」

いや、そんなもんていわれても、その、なんというか

「この電車よくとまるね」

「各駅停車ってそんなもんですよ」

といわれればなにも異論はないのだが、通信の門外漢を相手に説明するときにその言葉はないだろう。だって、通信の世界は電車ほど当たり前のものだと思わないのだ私は。鉄道の歴史とインターネットの歴史、比べるまでもない。

うううううう、と難癖をいいたくなる。

 

 説明を聞く。それを理解しようとするのとうなづくというのはどっか違うものだと思うのだ。私としてはうなづいて理解してますという意思表示はどっかにいって今そこにあるのはどういった内容か反芻することに全精力を注いでいるのだ。

 うなづかないと私に説明者はうなづきを求めてくる。

 業を煮やした説明者はこういった。

「お客さま、おわかり」

説明者は兄ちゃんである。兄ちゃんだ。おわかりというのはマダムのみに許された言葉ではなかろうか。マダムであってもなかなか客相手におわかりといは言わんだろう。なんだ、おわかりって。

 

 しかしね、通信関係の売り子さんの仕事を一度でもしてみたら、彼の気持ちがわかるかもしれない。やったことのない人間の思い上がりなんだろう、それはきっと。

 

 「一度お客さんの考え方をかえてみましょうか」

とも言われた。

 なんでそこまで言われんとあかんねん。