いんちきのもよう

コント師関本佳史 告知とかおねおねした文

トレインスポッティング2を観ました

 トレインスポッティング2を観てきました。トレインスポッティング2はどういう映画かというと、しみったれてるのがなんかええ、という映画でした。


 トレインスポッティングについて書きます。2やなくて、20年前に公開されたトレインスポッティングの方。

 トレインスポッティングが公開された時、周りのティーンは、なぜならその頃私もティーンだったから、おのずと周りの人間はティーンになり、おい、なんや、ティーンて、なにがティーンじゃ。10代だ。


 周りの人間はすっかりおしゃれさんで、ミュージック映画てな感じのトレインスポッティングに感化される、おしゃれとなる。


 だけど、私はおしゃれやなくて、どういう人間かというと、ラジオ深夜便を聴いてるような10代で、トレインスポッティングを観たあと思ったのは、かっこええけど、スコットランドのヤンキー映画やん、そら、確かに格好ええのであるが。


 若いには特権があって、それを自覚してる人々、若さに華がありそれをいかんなく発揮する方達が苦手だった。なぜかというと、私は若さの華を発揮できずに、ラジオ深夜便聴いてる若者やったからである。


 ようやっと、トレインスポッティング2の話。若さの特権てやつは、若さからくるものです。だから、人は言います。俺も若い頃はとか、若いうちはええけど歳とってそんなしてたらバカやで、と。

 だけど、だけど、どうなんでしょ。言うてることはわかりますが、映画てのは嘘です。嘘の世界てのは、ヒーローが映えると同時に愚か者も映える。

愚か者たちが無い知恵絞って、でたとこ勝負。ええ歳してるからこそ愚か者に情がのる。ええ映画でありました。


 映画の中である男が私小説というか、あの頃の小説を書きます。若い人は私小説をよく書きます。ま、それはそれでいいです。

 だけど、どうせなら、決して成功者じゃないおっさんがあの頃を思う文章てのが、なんかよいではないでしょうか。

 なんかよい、てのは実に説得力のない言葉ですが、明白によいより、なんかよいのほうが、なんかよいと思うのであります。