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どうも、はじめまして。関本といいます。これからここでブログを書く事にしました。おねおねおねおねした文章、またはどこどこでコントをします、とかそういうことの告知をかきます。
バンブーダンスのイベントの告知はしません。なぜかというと、それはバンブーダンスをする予定がないからです。
私は今年で34歳です。ふと思ったのです。私はバンブーダンスをしたことがないと。人生てのはたぶんしたことがないことの集約だと思います。ま、労力がどえらいことはなかなかできない。労力とか、お金とか、いろんなことがあって、することができないことはたくさんある。 ただ、バンブーダンスはやろうと思えばできる気がする。やろうと思って行動に移す。そこにはそれほど費用かからないし、わずらわしさもない、という気がする。しかし、しない。それはそこまでバンブーダンスに魅力を感じないからだろう。
でも、それをする人がいる、ということは魅力があるのだ。
その魅力に気が付いていないだけである。
別段それはバンブーダンスに限らない。きっとなにか魅力があるのだろう、というものはこの世に五万とある。あるだろう。
私はパチンコをしたことがある。2、3回。3千円くらいが一時間したらなくなった。なるほど、あれは楽しい。結局一円もプラスにはならなかったが、あれはたのしい。なぜ楽しいのだろうか。パチンコの魅力とはもう一歩、という感覚だ。もう一歩でなにかがおこるのではないだろうか、という演出にある。パチンコ台の液晶画面がもうじきなにかがおきますよ、というふうな演出をするのだ。
あの液晶画面のパターンが
「あたり」
だけだったらどうだろう。ちかちかもぴかぴかもしない。ただそこにあるのは「須賀」という文字だ。
「すか」は悲しい。失敗とか残念じゃなくて「すか」だ。すとかを並べただけだが、結構ボディにくる言葉だ。
で何をいいたいかというと、世の中はパチンコをけっこうしてる人間と、パチンコを数回したことがある人間と、パチンコをしたことがない人間に分けることができる。
考えてほしい。あの人はパチンコをするかいなか。そう考えると、実にみえてくることがあるだろう。何がどうみえてくるかはおのおの考えてほしい。
血中ヤンキー濃度という言葉を作ったのは、ナンシー関さんである。この言葉はとても的を射ている。私はヤンキーになれなかった。
なぜヤンキーになれなかったのかを書いて終わる。
スウェットをそない着なかった。
バイクにそこまで愛情がなかった。
マルボロメンソールを吸わなかった。
真冬はコンビニの前より室内のほうがよかった。
自動車のハンドルにカバーをつけなかった。
もめるのが嫌だった。
声が小さかった。
パチンコをほとんどしなかった。
初めてパチンコをした時、もし勝っていたら私はヤンキーになれただろうか。たぶん、無理だ。なぜかというと、自動車のハンドルカバーの魅力がわからないからだ。
しかし、確実に自動車のハンドルカバーに魅力はある。私はその魅力がわからない野暮天なのだ。
じゃ、バンブーダンスの魅力はわかるのか。少し最近わかってきた。